アメリカの大恐慌 2
1929年9月3日。
下界では何が起こっていたのでしょうか。
ニューヨークのタイムズ・スクウェアあたり、ラジオからは流行の「雨に歌えば」の軽快で甘いメロディーが流れていました。
ラジオはまだ小型が現れず、135ドルという高い値段でしたが、すでに1200万の家庭に備えられていました。
この界隈の映画館の看板には、サイレント時代からトーキー時代に入って、新しいスターたちの顔が登場しつつありました。
・・・このように1920年代末期には、ラジオやトーキー映画が大衆文化の新局面を押し広げつつあった一方では、スポーツの世界でも大衆化が進みつつありました。
なかでもプロ野球の世界では、何といってもべーブ・ルースが人気を集めていました。
この日こそ彼はホームランを打ちませんでしたが、今日までに40本を打っており、ジミー・フォックスの31本、ルー・ゲーリックの29本を断然引き離して、ホームラン王の面目を発揮していました。
・・・この残暑きびしい日、ニューヨークでどこが暑いといって、ウォールストリートの熱気ほどではなかったにちがいないでしょう。
株屋の店をのぞいてみれば、朝から株価の動きを見る人で、すでに熱気をはらんでいます。
もちろん、誰もこの日がアメリカの歴史の分岐点を示す運命の日になろうなどと考えるものはいませんでした。
それどころかGE株は今日395ドルの高値を更新したばかりで、いずれ近いうちに1000ドルになると株屋から耳打ちされていたのです。
GEのみならず、RCA、GM、USスティール、AT&Tなどの花形株は、いずれも先行き期待感で値を競り上げていました。
この日の株式の出来高も、450万株近くまでいくものとみられていたのです。